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遂にエラリー・クィーンを読むぞ 第1回 『ローマ帽子の秘密』 ──リチャード警視は萌えキャラである(執筆者:石井)

まえせつ

前回宣言した通り、初期から順にエラリー・クィーンの読書メモをしていくこのシリーズ。

fukyo-murder.hatenablog.com

順繰りなので当然今回は『ローマ帽子の秘密』から。

で、これは幼い頃からの習い性なんだけど、筆者は普段ミステリを読む時にそこまでカチッとした推理を組み立てずに、おおまかな方向性が浮かべばちょっと検討してみるけど、基本的に余地を残しておく、という読み方をしている。これは特に意識した訳ではないけど、驚き最大化の戦略になっている。全く何も想定していないと裏切られようがないので驚けない。でもガチガチに考えて細部まで埋めてしまうと、今度は驚く余地が残されていない(し、これは大事な要素なんだけど筆者は基本的にズボラなので疲れちゃう)。なので適度に考えて適度に考えない、という読み方に落ち着いた。前回挙げたクィーンの四作を昔読んだ時も、挑戦状を見掛けても「ウォー挑戦状だ」と思って興奮するくらいで、そこまで真面目に推理したことがなかった。

でも、折角ロジック派の高祖とされるクィーンを腰据えて読もうというんだから、今度は可能な限り自分でも推理してみて、そのフェアネスを噛み締める形で読んでいこうかなと考えている。

とはいえ、今回の『ローマ帽子』はだいぶ前とはいえ一度読んでいるので、登場人物があるていど出揃った段階で「ああ、そういえばこいつ犯人だったなあ」と思い出してしまった。勿論、犯人を特定するロジックこそが重要な訳だけれど、犯人がわかってしまったらそこからロジックもある程度逆算出来てしまう(森川智喜『スノーホワイト』の前半戦みたいに*1!)ので、ちゃんと推理してみるのは未読の作品に限ろうと思う。

あらすじ

時は192X年の米国。この年のブロードウェーは不作で大御所も新作を書かなかったので専門家は暇だし客は映画に流れるし。9月24日は天気も悪くて殆んどの劇場が休演をキメていたが、〈ローマ劇場〉だけは別。ここでは、裏社会のドンパチを描いた娯楽作「銃撃戦」が上演され、今日も満員御礼というワケ。降っていた雨も一幕の二幕の幕間までには上がり幸先良い感じで二幕に突入したと思ったら中で人が死んでる。被害者は悪徳弁護士モンティ・フィールド。こいつは弁護士なんだけどどうも裏社会の組織みたいののドンをやってるらしい。抜け目なく証拠を残さないので、検察局もその尻尾を掴めていないというザ・悪い奴みたいな被害者。

現場にいた警官は第一発見者の報を受けて劇場を封鎖し、すぐさま応援を要請、というわけでエラリー&リチャード・クィーン父子の出馬と相成る訳。だいたい、次のようなことが判明する:

  1. 超満員の舞台にも関わらず、被害者の周囲の席は全て空席だったこと
  2. 被害者のシルクハットが現場から姿を消していること
  3. 被害者のポケットから社交界の華、フランシス・アイヴズ-ポープ嬢のバッグが発見されたこと
  4. 被害者がめっちゃアルコール臭いこと

消えた被害者のシルクハットは何を意味するのか?犯人は誰で、どのようにして、フィールドを殺したのか?クィーン父子は果してどのように犯人を特定し、追い詰めるのか?

溢れ出るリチャード警視の個性

すっかり内容を忘れていたんだけど、そういえば劇場が舞台の作品だった。私は中高から学部二、三年くらいの頃まで芝居をやっていたので、「緞帳が上がる」って書いてあるだけでテンションが上がった。我ながら単純だと思う。……みたいな、特にネタバレにならないようなことをまずは書いていって、最後に「続きを読む」を挟んでネタバレ的感想という感じでいきます。

まあそれはそれとして、昔に数作読んだだけの印象だとリチャード警視の印象がすごく薄くて、息子いなきゃこいつ何にもできないんじゃね???みたいなことを思ってたんだけど、再読してみると全くそんなことなかった。 っていうか、警視のキャラクター異様に濃い。登場しただけで「不安げに愚痴をこぼしていた怒れる観客たちも、どういうわけか安堵させられて席にすわりなお*2」すって物凄い人徳だと思う。

で、そんな効果が穏当で平和的な九十九十九的人徳を披露したかと思うと、どうしようもない相手には豹変する。 たとえば、被害者と生前因縁のあったモーガンに物腰柔らかに「しっかりしてください。どうしてフィールドの死にそんなに反応なさるんですか」とかいってた次の瞬間に「いいかげんにしろ、モーガン!」って怒鳴る。ひとり〈グッドコップ・バッドコップ〉かよ。怖すぎるよ。

でもそんな人間が、解決編に差し掛かると息子が旅行に出てしまった寂しさからなんかこの世の終わりみたいな感じになってる。子離れ出来てない。BLかよ。本当に警視は変な人間人間みがある愛すべきキャラクターだと思う。

で、警視の捜査手腕の話だった。読み進めていくと、突破口を開くのはいつも息子のエラリーなんだけど、リチャードはその意図を正確に読み取って、てきぱきと捜査を進めていることがわかる。エラリーが何の打合せもなく一芝居打って、取り敢えずそれに乗って後から説明を求める父上、みたいな一幕もあるけど。そういう自体に即興的に乗っかれるというのも含めて、警視は結構以外な優秀な警察官なんだなあ、というのが今回新訳を読んでみてよくわかった。

九十年前のアメリカという空間

上述の通り、被害者には露骨にお酒を呑んだ形跡がある訳だけど、何回か密造酒の話が作中に出て来る。あれ?と思ったんだけど、よく考えたらこの物語の舞台は1920年代のアメリカな訳で、要は禁酒法時代のアメリカな訳だ。

今回筆者は『ローマ帽子』をシアトル経由でヴァンクーヴァーに向かう途中の飛行機で読んで、この原稿はその帰りに書いている訳なんだけど、普通にレセプションで堂々とお酒が振る舞われる現代とは、やはり違う時代なんだなあと実感する。新訳は文体としては現代的なものになっているけれど、平易で何が起きているのかわかりやすいお陰で、前回は全く気に止めていなかった時代背景に気付く事が出来たのかもしれない。……といってもアメリカ文化史は全然何も知らないから、「禁酒法時代なんだな〜」と思っただけなんだけど。

あとやっぱり、「夜会服にはシルクハットやステッキがつきもの」というロジックが成立するのも、1920年代のアメリカが舞台だからだろうし、その意味でも非常に時代を反映したミステリであるといえるんじゃないだろうか。

あと、後ほど忘れ去られるらしいJ・J・マックさんが序文を書いてるのが1929年で、この事件が192X年って、結構この事件から引退までスパン短いな。なんかもうエラリーも中年くらいになってから引退したのかと思ってた。

!!!注意!以下ネタバレ!!!

*1:あそこまでいったら凄いけど

*2:p.41

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アイドルたちは九〇年代の夢を見るか

※以下の文章は、 『風狂通信vol.1』掲載の拙文「アイドルたちは九〇年代の夢を見るか」をブログ記事用に改稿したものです。

90s Kids Never Die

今年二月、突然のメンバー脱退とプロデューサーとの契約終了が発表され、話題となったアイドルラップグループ・ライムベリー。彼女たちはその発表のちょうど一年前、「ウインタージャム」というシングルをリリースしていた。プロデューサーのE TICKET PRODUCTIONこと桑島由一による楽曲は、九〇年代の日本語ラップやテクノに対するリスペクトに溢れており、表題曲もその名のとおり、スチャダラパーの名曲「サマージャム’95」へのオマージュが捧げられた楽曲となっている。


ライムベリー - ウィンタージャム(sample) - YouTube

 これは一例に過ぎないが、現在のアイドルシーンの音楽は、九〇年代と直接的に接続しているように思われる。それは前述の桑島由一がそうであるように、作り手が九〇年代の音楽に影響を受けている場合もあれば、九〇年代に実際に活動していたプレイヤーが楽曲を提供したりプロデュースしたりしている場合もあるだろう。あるいはまた、東京パフォーマンスドールのように、九〇年代に活動していたグループが新たにオーディションを行なって同名で復活し、ライブ等で過去の楽曲を披露しているというケースもある。いずれにせよ、アイドル戦国時代に数多のアイドルが登場し、それだけアイドルの楽曲が必要になったからこそ、アイドルをプラットフォームとして、九〇年代リバイバル的なごった煮状況が現れたのだ。

たとえばNegicco。彼女たちのサウンド・プロデュースを手掛けるconnieは、Negiccoが一昨年結成十周年を迎えるにあたり、自らが影響を受けたというノーナ・リーヴス西寺郷太や元ピチカート・ファイヴ小西康陽に楽曲の提供とプロデュースを要望し、「愛のタワー・オブ・ラヴ」「ときめきのヘッドライナー」(西寺)、「アイドルばかり聴かないで」(小西)が発表された。昨年も、「トリプル!WONDERLAND」を元Cymbals矢野博康が、次いで「サンシャイン日本海」をORIGINAL LOVE田島貴男が、それぞれプロデュースと作詞作曲を担当しており、いわゆる渋谷系人脈の名前が続いている。今年8月にリリースした新曲「ねぇバーディア」は、レキシの池田貴史(元SUPER BUTTER DOG)作曲だ。


Negicco / アイドルばかり聴かないで MV(full ver.) - YouTube


Negicco「ねぇバーディア」MV - YouTube

ちなみに、同じく元Cymbalsの沖井礼二は、やはりアイドルグループ・さくら学院バトン部 Twinklestarsなどに楽曲提供を行なっている(「Dear Mr.Socrates」等)。


「Dear Mr.Socrates」 - YouTube

渋谷系つながりでいえば、なんといってもでんぱ組.incであろう。1stアルバム『ねぇきいて?宇宙を救うのは、きっとお寿司…ではなく、でんぱ組.inc!』収録の「くちづけキボンヌ」と、「W.W.D」との両A面シングル「冬へと走り出すお!」は、どちらも作詞にかせきさいだぁ、作曲・編曲にヒックスヴィル(元ロッテンハッツ)の木暮晋也が起用されている。特に後者は、タイトルや歌詞からして、かせきさいだぁ「冬へと走りだそう」に対するセルフオマージュであることは明らかだ。でんぱ組はそれ以前にも、小沢健二の「強い気持ち・強い愛」をカバーしており(プロデューサーの福嶋麻衣子とメンバーの夢眠ねむがともにオザケン好きであったことによるらしい)、アイドルシーンと渋谷系音楽のリンクがはっきりと示されている。


【世界初かも!?】でんぱ組.inc「冬へと走りだすお!」Full ver. - YouTube


でんぱ組.inc「強い気持ち・強い愛」Music Clip Short ver. - YouTube

渋谷系の文脈においては、カジヒデキの名前も外せない。バニラビーンの四枚目のシングル「LOVE&HATE」では作詞を、八枚目のシングル「マスカット・スロープ・ラブ」では作詞作曲プロデュースを手掛けているほか、でんぱ組にも九枚目シングル「サクラあっぱれーしょん」のカップリングとして「ファンシーほっぺ♡ウ・フ・フ」を提供している(作詞はかせきさいだぁ)。


バニラビーンズ / マスカット・スロープ・ラブ (MV) - YouTube

渋谷系だけでなく、九〇年代後半に大きく盛りあがったメロコアスカパンクミクスチャー・ロックといったバンドシーンの面々からも、アイドルへの楽曲提供は行なわれている。

昨年七月に横浜アリーナでのコンサートをもって解散したBiSには、たとえばHi-STANDARD難波章浩(「Hi」)、kemuri津田紀昭(「MURA-MURA」)、それにTHE MAD CAPSULE MARKETS上田剛士(「STUPiG」)などが楽曲提供・プロデュースをしている。


BiS / "Hi (Special Edit)" Music Video - YouTube

ベイビーレイズの場合、SEX MACHINEGUNSANCHANG(「S.O.K.」)やBACK DROP BOMBの寿千寿(「トゥゲザー! トゥゲザー! トゥゲザー!」)、SOPHIA都啓一(「最上級!!」)にSNAIL RAMPのTAKEMURA(「GET OVER NIGHT」)、Hawaiian6の安野勇太(「新しい世界」)など、楽曲提供者は多岐に渡っている。


ベイビーレイズ live 「トゥゲザートゥゲザートゥゲザー」 - YouTube

ここに並んでいる名前だけ見れば、二〇〇〇年前後の『ROCKIN'ON』の誌面のようだ。九〇年代デビュー組に限らなければ、さらに多くのアーティストの名前が挙げられ、この二組に関しては特にプラットフォームとしての存在感が大きいように感じられる。

ところで、BiSは解散するにあたって「日本ヱヴィゾリ化計画」という企画を行なっていた。彼女たちの代表曲「nerve」と、そのサビの部分の象徴的な振り付け“エヴィゾリ”を、BiS解散後もアイドル文化遺産として後世に残していくことを目的としたものだ。この企画には一般のファンだけでなく、東京女子流Dorothy Little Happyなどのアイドルから、非常階段や忘れらんねえよkemuri津田紀昭凛として時雨ピエール中野、果ては電撃ネットワーク西島大介まで参加しており、単なるフォーマットとしてではなく、プラットフォームそれ自体の力、コンテンツの強さというものを感じた。

 前述の企画にも参加し、BiS同様、非常階段とのコラボでも話題になったゆるめるモ!の楽曲は、その多くをプロデューサーである田家大知が手掛けてきたが、今年の三月に発売された二枚目のシングル「Hamidasumo!」では、POLYSICSハヤシヒロユキが作詞作曲を行なっている。プロデューサーの田家のかねてからの熱望で、このコラボが実現する運びとなったらしい。


ゆるめるモ! "Hamidasumo!" (Official Music Video) - YouTube

東京女子流の「Say long goodbye」の作曲を手掛けるコモリタミノルは、以前は小森田実名義で活動し、様々なアーティストに楽曲を提供してきた人物である。その活動のなかでは、SMAPへの曲提供がもっとも有名であろう。九〇年代には「SHAKE」、「ダイナマイト」、「たいせつ」の三曲を、二〇〇〇年代になってからも「らいおんハート」や「BANG! BANG! バカンス!」などを手掛けている。近年では、チームしゃちほこの五枚目のシングル「愛の地球祭」などもコモリの手によるものだ(ちなみに、「愛の地球祭」のカップリング「尾張の華」のアレンジャーは元電気グルーヴCMJK)。


東京女子流 / 渾身のバラード"Say long goodbye"MV+SPOT - YouTube

スターダストプロモーションつながりで、私立恵比寿中学の七枚目のシングル「ハイタテキ!」は、元JUDY AND MARRYのTAKUYAがサウンドプロデュースを務めている。TAKUYAといえば、昨年三月に活動終了したおはガールちゅ!ちゅ!ちゅ!の楽曲のプロデュースも手掛けていた。TAKUYAいわく、おはガールちゅ!ちゅ!ちゅ!の2ndシングル「こいしょ!!!」について、知り合いからは「「僕らが求め続けてたアイドルソングの答えは『こいしょ!!!』です」と力説された」という。


私立恵比寿中学 「ハイタテキ!」Music Video - YouTube

Dorothy Little Happyは、JIGGER'S SONの坂本サトルプロデュースで彼のレーベルからデビューしている。坂本はバンド休止後の一九九九年からソロで引き語りの活動をはじめ、「天使達の歌」が口コミで広まってスマッシュヒットを記録したが、果たして世間ではどの程度記憶されているだろうか。当時は埋もれてしまったものの、そのメロディメーカーとしてのセンスは、アイドルブームとドロシーの活躍によってふたたび注目されることとなった。ちなみに今年の7月、ドロシーはメンバーが3人一挙に卒業し、現在は2人組アイドルとして活動している。卒業した3人は、ドロシーの派生ユニットであったcallmeの活動に専念するという。

ドロシーのように全楽曲を同一人物がプロデュースしているケースとして、ほかにはたとえば声優アイドルユニットのワンリルキスがある。プロデューサーはサニーデイ・サービスの田中貴。作詞作曲は、同じくサニーデイ曽我部恵一や、サポートメンバーの細野しんいち、中村一義ノーナ・リーヴス西寺郷太などが行なっている。

さて、以下は駆け足で。
元PEPPERLAND ORANGEの佐久間誠は、Buono!palet渡り廊下走り隊などの楽曲の編曲者として活躍している。pal@popこと高野健一は、ノースリーブスバクステ外神田一丁目などに楽曲提供・プロデュースをしている。元スィートショップの近藤薫は、バンド解散後、AKB48をはじめ様々なアーティストに楽曲を提供しており、たとえば柏木由紀の二枚目のソロシングル「Birthday wedding」なども近藤の作曲だ。


柏木由紀 / Birthday wedding - YouTube

最後に、AKB関連の楽曲のなかで、もっとも明確に九〇年代との接続を意識しているのは、二〇一三年一月にノースリーブスがリリースした九枚目のシングル「キリギリス人」であるに違いない。表題曲こそゴールデンボンバー鬼龍院翔の作曲だが、カップリングで入っているソロ曲の提供者はそれぞれ、小嶋陽菜の「MY SHINING STARS」が電気グルーヴ石野卓球高橋みなみの「ふと思うコト」が小室哲哉峯岸みなみの「君に恋をした」が川本真琴で、まさにザ・九〇年代といった並びである。同年にはまた、AKB本体で「恋するフォーチュンクッキー」が発表され、売り上げだけでなく世間への浸透度からしても、大ヒットと呼べる結果を残した。そして「恋チュン」は、正調ディスコチューンの系譜のなかで渋谷系ともリンクする


【MV】恋するフォーチュンクッキー / AKB48[公式] - YouTube

AKBの今年の総選挙選抜曲「ハロウィン・ナイト」は、再び「恋チュン」と同じ路線のディスコナンバーだ。現在の音楽シーンを考える上で、アイドルと九〇年代の結びつきは、ますます重要な意味をもってくるのではないだろうか。

(秋好)

遂にエラリー・クィーンを読むぞ 第0回 予告(執筆者:石井大海)

はじめに、あるいは不信心の告白

後期クィーン的問題*1。 良い響きだ。ミステリ読みが日常的に多重解決を嗜んだり贋の手掛かりといった事を考えている内に陥る落とし穴みたいなもので、要は提示された手掛かりが本物であり、その手掛かりから導かれる真相も本物であることをどうやって保証するかという問題だ。 もちろんこれは原理的に唯一の正解が存在する類いの問題ではなく、何をもってこの問題が〈解決〉されたとするのかという定義から初めなくてはならない、ある種の擬似問題であると云える。 だから価値がない、ということではなく、多義的な解釈許す擬似問題であるからこそこの問題からあらゆる個性的な〈解決〉が生まれてくる、いわば魅力的な創造の源泉になっているのだということが出来るだろう。

それで、筆者もミステリ読みになってから隨分久しい*2。はじめはパスワード探偵団とか、夢水清志郎シリーズとか読んでる微笑ましい読書少年だった筈なのだが、いつの間にか奇書とか麻耶雄嵩とかを嬉々として読むヒネクレたミステリ読みになってしまっていた*3。筆者の中では年々〈後期クィーン的問題〉に対する想いは募り続けており、もはや目にする全てのものが後期クィーン的問題に見えるようになってきてしまった。これはよくない。

よくないので、そろそろ法月『初期クイーン論』をはじめとした基本文献を総浚えして、後期クィーン的問題について何らかの論考的なアウトプットをして、血中後期クィーン的問題分濃度を下げようと思っているのだが、一つ問題があった。

実は、筆者はクィーン作品をほとんど読んでいないのだ。

読んでいないので、ネタバレを必然的に含む評論の類いを読み進めることが出来ない!

そもそも筆者が古典ミステリを読んでいたのはだいたい高校時代で、その時期にクリスティはまあ多少読んだがクィーンを殆んど読んでない。ブクログによれば、読了しているのは、

  • ローマ帽子の謎
  • エジプト十字架の謎
  • Xの悲劇
  • Yの悲劇

の僅かに四冊だけだ*4。因みにこのラインナップを見て頂ければ解る通り、創元派である。ここから読み進めておけばよかったのだが、時期を前後して麻耶雄嵩沼に嵌ってしまい、本家本元のクィーンを読む手が止まってしまったという事情がある。

で、しかも良く見るとこれ初〜中期の作品しかなくて、肝心の後期作品がない。出身クラブの機関誌で在籍時に「後期クィーン特集」があったというのに、いくらなんでも、これは本当に不味い。

不味いなあと思ったので、手許にあった『ギリシア棺』を読み始めてみた。

……みた、のだが、困った。

読めないのだ。

確かに高校時代は読めていた気がする。というか、記録によれば少なくとも四冊は普通に読んでいる。『エジプト十字架』を読みながら高校の下駄箱で上履きを履き替えつつははあこれがあの有名な××××××××の元ネタであったのかと膝を叩いていた、という記憶だってある。膝を叩きながら履物を取り替えるのは結構面倒臭かったに違いない。

しかし、今になって読めない。

これはどうしたことか。

よく考えてみると、高校時代というのは今より若く、体力もあった。それからもう実に何年*5かの月日が流れて、まあ世間的にはまだ若造だけど当時に比べればもう、若くはない。一日中寝てるから体力もない。そこへ加えて、高校以来現代日本の洗練された平易な文章ばかり読んで育ってきたものだから*6、井上勇先生訳の格調の高い訳文を読む能力が失われてしまったのだ!奥付を見てみれば、「1960年初版発行」とある。実に55年前で、これは筆者の母親が生まれたのとだいたい同じような年代だ。最近は年下から化石のように扱われることも増えてきた平成ヒトケタ代の生まれにとっても、流石に55年も前となればロゼッタストーンのようなものだ。

どうしたものか……と考えていたのだが、角川創元新訳が進行してるじゃないですか*7

体力の衰えでカチッとした文章が読めなくなってしまったならば、新訳版を読めばよいのではないかというのは自然な発想。では、角川と創元どちらを読み進めていくのか……という最適化問題をあとは解けば良いだけだ。

調べてみると、角川新訳は国名シリーズとレーン四部作は全て訳出されているのに対して、創元ではまだ初期の四作のみの模様。上で触れた通り「謎」派である(であった)身としては創元で統一するのが良いのだろうが……はたしてどうするべきか。ということでインターネットの海を徘徊することしばし、飯城勇三氏のそのものズバリな記事を見付けた:

あなたがもし、細かい伏線や手がかりの訳し方にこだわるマニアックな読者ならば、〈国名シリーズ〉は角川文庫版をおすすめします。というのは、私が身の程知らずにも訳者の越前敏弥氏にアドバイスしているのが、まさにこの「伏線や手がかりの訳し方」だからです。

──初心者のためのエラリー・クイーン入門 【前篇】 (執筆者・飯城勇三) より

と、いうことであれば、仮にもロジック派を自認しようという私であれば角川版を選ぶのが良いのだろう──ということで、作数も多いし、角川新訳版を軸に読み進めて行くことに決定(飯城先生、ありがとうございます!)。とはいえ、上の記事によれば、「法月綸太郎氏の描く法月父子のイメージに近いのは、越前訳ではなく、(創元新訳の)中村訳*8」ということなので、こちらの新訳も機を見てトライしてみることにしたい。

ということで、次回から、不信心な筆者が角川新訳版を中心に初期からエラリー・クイーンを読み進めていく読書メモ的なシリーズを始めることをここにおもむろに宣言する。本業もあるので不定期更新、ゆっくりと乞うご期待、という事で、待て次号。

(石井)

*1:「クイーン」と書いたり「的」を抜かしたり色々な表記揺れはある。特に "Queen" の日本語表記については、そもそもメジャー所の角川も創元も「クイーン」表記なのでその表記を採用する事例が多いように思う。何となく拗音で「クィーン」と書いた方が発音的にもしっくり来るし、字の座りが良いように感じるので、以下では独断と偏見によって引用部分を除いて「クィーン」表記で統一することにする。

*2:といっても十年やそこらだけど。

*3:まあ、多分だいたいはやみねかおるのせいだろう。ジュヴナイル・ミステリの文中に〈四大奇書〉〈本格ミステリ〉などという単語を平気で放り込んで道を踏み外させた罪は重い。はやみね先生、責任取ってください!

*4:更に積読に『ギリシア棺の謎』『オランダ靴の謎』『Zの悲劇』『レーン最後の事件』の四冊が控えている。

*5:とはいってもまだ若いから十年は経ってない。

*6:麻耶先生の初期作品が平易であるかは意見が逆に分かれない所ではある。

*7:ここだけ敬体

*8:括弧内筆者