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風狂奇談倶楽部の活動記録や雑考など

遂にエラリー・クィーンを読むぞ 第0回 予告(執筆者:石井大海)

はじめに、あるいは不信心の告白

後期クィーン的問題*1。 良い響きだ。ミステリ読みが日常的に多重解決を嗜んだり贋の手掛かりといった事を考えている内に陥る落とし穴みたいなもので、要は提示された手掛かりが本物であり、その手掛かりから導かれる真相も本物であることをどうやって保証するかという問題だ。 もちろんこれは原理的に唯一の正解が存在する類いの問題ではなく、何をもってこの問題が〈解決〉されたとするのかという定義から初めなくてはならない、ある種の擬似問題であると云える。 だから価値がない、ということではなく、多義的な解釈許す擬似問題であるからこそこの問題からあらゆる個性的な〈解決〉が生まれてくる、いわば魅力的な創造の源泉になっているのだということが出来るだろう。

それで、筆者もミステリ読みになってから隨分久しい*2。はじめはパスワード探偵団とか、夢水清志郎シリーズとか読んでる微笑ましい読書少年だった筈なのだが、いつの間にか奇書とか麻耶雄嵩とかを嬉々として読むヒネクレたミステリ読みになってしまっていた*3。筆者の中では年々〈後期クィーン的問題〉に対する想いは募り続けており、もはや目にする全てのものが後期クィーン的問題に見えるようになってきてしまった。これはよくない。

よくないので、そろそろ法月『初期クイーン論』をはじめとした基本文献を総浚えして、後期クィーン的問題について何らかの論考的なアウトプットをして、血中後期クィーン的問題分濃度を下げようと思っているのだが、一つ問題があった。

実は、筆者はクィーン作品をほとんど読んでいないのだ。

読んでいないので、ネタバレを必然的に含む評論の類いを読み進めることが出来ない!

そもそも筆者が古典ミステリを読んでいたのはだいたい高校時代で、その時期にクリスティはまあ多少読んだがクィーンを殆んど読んでない。ブクログによれば、読了しているのは、

  • ローマ帽子の謎
  • エジプト十字架の謎
  • Xの悲劇
  • Yの悲劇

の僅かに四冊だけだ*4。因みにこのラインナップを見て頂ければ解る通り、創元派である。ここから読み進めておけばよかったのだが、時期を前後して麻耶雄嵩沼に嵌ってしまい、本家本元のクィーンを読む手が止まってしまったという事情がある。

で、しかも良く見るとこれ初〜中期の作品しかなくて、肝心の後期作品がない。出身クラブの機関誌で在籍時に「後期クィーン特集」があったというのに、いくらなんでも、これは本当に不味い。

不味いなあと思ったので、手許にあった『ギリシア棺』を読み始めてみた。

……みた、のだが、困った。

読めないのだ。

確かに高校時代は読めていた気がする。というか、記録によれば少なくとも四冊は普通に読んでいる。『エジプト十字架』を読みながら高校の下駄箱で上履きを履き替えつつははあこれがあの有名な××××××××の元ネタであったのかと膝を叩いていた、という記憶だってある。膝を叩きながら履物を取り替えるのは結構面倒臭かったに違いない。

しかし、今になって読めない。

これはどうしたことか。

よく考えてみると、高校時代というのは今より若く、体力もあった。それからもう実に何年*5かの月日が流れて、まあ世間的にはまだ若造だけど当時に比べればもう、若くはない。一日中寝てるから体力もない。そこへ加えて、高校以来現代日本の洗練された平易な文章ばかり読んで育ってきたものだから*6、井上勇先生訳の格調の高い訳文を読む能力が失われてしまったのだ!奥付を見てみれば、「1960年初版発行」とある。実に55年前で、これは筆者の母親が生まれたのとだいたい同じような年代だ。最近は年下から化石のように扱われることも増えてきた平成ヒトケタ代の生まれにとっても、流石に55年も前となればロゼッタストーンのようなものだ。

どうしたものか……と考えていたのだが、角川創元新訳が進行してるじゃないですか*7

体力の衰えでカチッとした文章が読めなくなってしまったならば、新訳版を読めばよいのではないかというのは自然な発想。では、角川と創元どちらを読み進めていくのか……という最適化問題をあとは解けば良いだけだ。

調べてみると、角川新訳は国名シリーズとレーン四部作は全て訳出されているのに対して、創元ではまだ初期の四作のみの模様。上で触れた通り「謎」派である(であった)身としては創元で統一するのが良いのだろうが……はたしてどうするべきか。ということでインターネットの海を徘徊することしばし、飯城勇三氏のそのものズバリな記事を見付けた:

あなたがもし、細かい伏線や手がかりの訳し方にこだわるマニアックな読者ならば、〈国名シリーズ〉は角川文庫版をおすすめします。というのは、私が身の程知らずにも訳者の越前敏弥氏にアドバイスしているのが、まさにこの「伏線や手がかりの訳し方」だからです。

──初心者のためのエラリー・クイーン入門 【前篇】 (執筆者・飯城勇三) より

と、いうことであれば、仮にもロジック派を自認しようという私であれば角川版を選ぶのが良いのだろう──ということで、作数も多いし、角川新訳版を軸に読み進めて行くことに決定(飯城先生、ありがとうございます!)。とはいえ、上の記事によれば、「法月綸太郎氏の描く法月父子のイメージに近いのは、越前訳ではなく、(創元新訳の)中村訳*8」ということなので、こちらの新訳も機を見てトライしてみることにしたい。

ということで、次回から、不信心な筆者が角川新訳版を中心に初期からエラリー・クイーンを読み進めていく読書メモ的なシリーズを始めることをここにおもむろに宣言する。本業もあるので不定期更新、ゆっくりと乞うご期待、という事で、待て次号。

(石井)

*1:「クイーン」と書いたり「的」を抜かしたり色々な表記揺れはある。特に "Queen" の日本語表記については、そもそもメジャー所の角川も創元も「クイーン」表記なのでその表記を採用する事例が多いように思う。何となく拗音で「クィーン」と書いた方が発音的にもしっくり来るし、字の座りが良いように感じるので、以下では独断と偏見によって引用部分を除いて「クィーン」表記で統一することにする。

*2:といっても十年やそこらだけど。

*3:まあ、多分だいたいはやみねかおるのせいだろう。ジュヴナイル・ミステリの文中に〈四大奇書〉〈本格ミステリ〉などという単語を平気で放り込んで道を踏み外させた罪は重い。はやみね先生、責任取ってください!

*4:更に積読に『ギリシア棺の謎』『オランダ靴の謎』『Zの悲劇』『レーン最後の事件』の四冊が控えている。

*5:とはいってもまだ若いから十年は経ってない。

*6:麻耶先生の初期作品が平易であるかは意見が逆に分かれない所ではある。

*7:ここだけ敬体

*8:括弧内筆者