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11月24日は「童貞の日」~雑学「初めて」物語!(執筆者:白樺)

11月24日は『童貞の日』
1994年、当時の人気ラジオ番組「伊集院光のOH!デカナイト」内で制定されました。大正3年のこの日、高村光太郎の第一詩集『道程』が出版されたことに因みます。クリスマスイブの1ヶ月前という皮肉な日取りがポイントですね。

1日遅れてしまいましたが、今夜はそんな「童貞の日」を記念して、古今東西「初めて」雑学を書き連ねていきたいと思います!できる限り、既存のまとめサイトなどには載っていなさそうな「チェリー雑学」を集めました!

 

 

 

その①!「日本で初めて包茎手術をしたのは大友宗麟

 

 公式に記録が残っている中で日本最古の包茎手術は、天正8年(1580年)に豊後の戦国大名・大友宗麟に施されたものです。

 と言っても無論、「一つ上の男」になるための手術ではなく、宗教的割礼。

 キリシタン大名として有名な宗麟ですが、当時の日本布教区責任者であった宣教師フランシスコ・カブラルより洗礼を受けた際、割礼の儀式について聞きおよぶと「私は体もあなたたちと同化したいのだ」と、その場で着物をはだけさせ、陰茎を差し出したと言われています。

 ちなみにキリスト教では紀元49年のエルサレム会議以来、改宗した異教徒に割礼は求められないことになっており、大村純忠有馬晴信といった同時代のキリシタン大名がおちんちんの皮を切ったという記録はありません。宗麟に割礼を施したカブラル自身、のちに本国への書簡で「とんだ変わり者」と評しています。

 

 

その②!「日本で初めてバレンタインデーにチョコを贈ったのは津田梅子

 

 津田梅子といえば津田塾大学の創始者で、日本における女子高等教育の礎を築いた人物です。岩倉使節団に同行し、わずか6歳で渡米したというスゴい経歴の持ち主でもあります。

 18歳で帰国した梅子は一時期、伊藤博文の知遇を得、伊藤家に住み込んで博文の英語教師をしていました。当時の梅子の日記に、両国の風月堂で「ショコラート」を求め、バレンタインを祝って博文に渡したと書かれています。

 ちなみに欧米では、バレンタインは男性から女性にプレゼントを贈るのが一般的ですから、「女性から男性にバレンタイン」はいわば梅子のオリジナル。近代日本的男女観とは終生、相容れなかった梅子のアグレッシブな性格が伺えるエピソードですね。

 

 

その③!「『焼きもちを焼く』という言葉をつくったのは夏目漱石

 

 続いては「言葉」の初めて。“浪漫”など、多くの言葉を造語・創訳したことで知られる夏目漱石ですが、「焼きもちを焼く」という表現も彼が造ったってご存じでしたか?

 初出は初期の代表作『三四郎』(明治四一年)。主要登場人物の一人、野々宮よし子が「火鉢で餅でも焼くように」頬を膨らませる描写があります。

 尤もこれには異説がありまして、「妬く気持ち」を「焼き餅」と掛け、不満を込めてふくれっ面をしている様子の例えとして「焼きもちを焼く」という言葉を使ったのは、同時代の噺家三代目柳家小さんがオリジナルとも言われています。寄席に足繁く通っていた漱石ですから、小さんの洒落を自作中で「拝借」した可能性もあります。

 

 

さて、3本続けてお送りしました雑学「初めて」物語!

知らないネタはありましたか?良かったら、お友達やお母さんや、「お母さんは『お父さん』って呼んで欲しがってるけど私はかたくなに『吉村さん』って呼び続けている。吉村さんは『無理しなくて良いから』っていつも言うけど、その良い人ぶった態度が余計に私を苛立たせて・・・・・・!」っていう関係性の人とかに教えてあげてね!

 

という訳で今夜はネタ切れなので早々にさ~よう~な~ら~!

 

To be continued....