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喜国先生が表紙の理由?――『ぼくは漫画大王』ネタバレ解説!(白樺)

本格ミステリ 小説 レビュー 書評 台湾

『ぼくは漫画大王』の表紙絵が喜国雅彦先生なのは、先生の往年の名作『まんが大王』とかけてる説。

という訳で『ぼくは漫画大王』レビュー、ネタバレ解禁の後半戦! 

前項で、「この作品のポイントはトリックそれ自体よりむしろ、“それを成立させている状況”の異常さ」であるというお話をしました。

また、あの「ラストの1行」は、単にどんでん返しのフィニッシングストロークではなく、もっと別の「演出意図」が込められているものなんじゃないかな、とも述べましたね。

 

※ここから、本当になんの躊躇もなく息を吐くようにネタバレしますので未読の方はなるべく読んでから来てね!!

 

ちなみに前項はこちら!

fukyo-murder.hatenablog.com

 

 

 『ぼくは漫画大王』の一番の読みどころは、どうやったって「実の息子を11年間に渡って自宅に監禁し、自分が30年前に生きていると思い込ませ続けていた」方志宏の狂気に他ならず、この物語が「過去に生き続ける男のパラダイスロスト」を描いている以上、楽園が崩壊するまさにその瞬間にカーテンフォールを迎えるのは必然です。

 

「あの1行」は確かに、種明かしの「フィニッシングストローク」です。しかしその一撃は、読者にではなく「健ちゃん」として生きてきた方家の息子に向けられたものなのです。

……このあたり、非常に漢字文化圏的な演出に感じます。

「諱」という概念がありますね。名前は“その人そのもの”を象徴するので、名を「知る」「呼ぶ」ことは人格を支配下におくことであり、ゆえに主君や親以外の人間が無闇に人の本名を呼ぶのは避けるべきだよね、という考え方です。

 「親から呼ばれる名」がその人そのものであるなら、「健ちゃん」と呼ばれ続けたその子に対して「自分≠『健ちゃん』=方志宏」と告げることはつまり、今日までの11年の人生は全て借り物に過ぎず、自分にはオリジナルの人格も人生も与えられていないことを突きつける告発に他なりません。(方家の息子の本名が、作中で一度も呼ばれていないことにお気づきですか?)

 

 方志宏の楽園を破壊すべく現れ、「父に似せて」つくられた息子を父殺しに誘った許家育は、アダムとイブに禁断の果実を食べさせたのイメージを背負っています。

 彼は「ダイアモンド模様のシャツ」を着てやって来ます。ダイアモンド模様とは、菱形の連なった「ハーレキンチェック」のことでしょうが、この模様を蛇の鱗に見立てるのは無理筋でしょうか?

 映画ダークナイトで、バットマンを堕落させようとするジョーカーが蛇革柄のシャツを着ているのは非常に解りやすい演出でした。そのイメージなんじゃないかな、と思っています。

 また、許が切り分け、食し、方親子に分け与えた「オレンジ」は、西洋の宗教画において「原罪」を象徴する果実のひとつです。

 冬に葉を落とさない常緑樹であるオレンジの木は「堕落しない高潔さ」の象徴として、天の楽園に生える木として表象されています。ゆえに、アダムとイブが食べた禁断の果実もまた、オレンジだったという解釈があります。

(「禁断の果実」がなんの木の実だったかは聖書中には記述がなく、リンゴだという解釈は、ラテン語において「邪悪な」という語と「リンゴ」という語がどちらも“malus”と綴られることから駄洒落的に広まったものだとか。)

 また、オランダ語ではオレンジを“Sinnasappel”「中国のリンゴ」と呼び、フランドル派やそれに影響を受けたラファエル前派の絵画には、禁断の果実をオレンジとして描いたものが見られます。

 

 さらに発想を飛躍させれば、楽園が崩壊した後、方志宏が息子に刺されたのは本当に「予期せぬ悲劇」だったのか、ということにも疑問を挟む余地はあります。

 

 私は、方は自らの意志で「息子に自分を殺させた」のだと考えています。

 

 物語を読み解く鍵は、「健ちゃん」のお気に入りの作品のひとつとして作中で繰り返し言及される「無敵鉄金剛」……マジンガーZです。

 これが、読者への目配せになっているんだと思うんですよね。

 

 2対1で完膚無きまでにボコボコにされるマジンガーZ、もう駄目かと思った時に颯爽と登場する謎のロボット。さっきまであんなに強かったはずの敵ロボットをものの1分足らずで瞬殺したその正体は、次週から始まる新番組の主人公だったのです!

 

 という、「マジンガーZ」の“伝説の最終回”は、懐かしアニメ特集みたいな番組ではパトラッシュが死んで柴田理恵さんが泣いてるシーンと並んで必ず話題に上がるので、ご存じの方も多いはずです。

 かくいう私もマジンガーZは最終回の超展開しか知らなかったのですが、ものの本で調べてみますと、マジンガーZを助けてくれたグレートマジンガーを造った兜剣造博士は、マジンガーZを造った兜十蔵博士の息子で、実験中の事故で瀕死の重傷を負ったのを、父・十蔵博士によるサイボーグ化手術によって一命を取り留めたという設定があるんですね。

 「兜十蔵によって造られたロボットである」という点で、マジンガーZは剣造博士自身の二重写しです。最終回の構図を、剣造博士の視点から思いっきり恣意的に読み替えれば、「自らが造ったロボットによって、“父親が造ったロボット”=自分自身を捨て、乗り越えた」という父殺しの物語をそこに見ることができます。

 

 闖入者に楽園を蹂躙され、人生の「再演」を放棄せざるを得なくなった方志宏は何を考えたでしょうか?

 11年がかりの計画です。それが徒労に終わった今、また一から始めるだけの時間は既に自分には残されていない。もはや自らの絶望を治療する術はないと知った彼が、発作的に死を願ったとしても不思議はありません。

 彼はただ、ナイフで自らの胸を突けば良かった。しかし、そうはしなかった。彼は気付いたのです。「漫画大王としての人生を生き直す」ことは不可能でも、「もう一つの願い」なら、まだ叶えることができることに。

 そしてそれがきっと、かつての自分と同じく11歳で惨めに世界を壊されてしまった息子を立ち直らせることが出来る唯一の方法だと、方は確信したはずです。

 

>「考えを変えるって言えば、あの日俺が太っ許を送っていった後、この心の中に詰まっていたただ一つの考えは何だったか分かるか?」

>「何なんだ?」

>「親父を殺すことだよ!」(250ページ)

 

>「決闘のあの日、お前がおやじさんを見てた目つきを覚えてるよ。正直言ってお前、おやじを殺しでもしそうだったな」

>ソファが微かに震えた。健ちゃんには、息子が痙攣を起こしたせいだと分かっていた。

>「良かったよ。最終的にお前は我慢して、おやじを本当に襲いはしなかったんだから。そうじゃなきゃ、とんでもない間違いを犯してたところだぞ!」(272ページ)

 

 もはや自身が経験した「11歳のカタストロフ」が繰り返されるのを回避することが出来なくなった方志宏は、せめて「あの日、父親を殺すことが出来なかった自分」を打ち破り、息子を、そしてそこに重ねた自分自身を〈自分が「父親」として殺される〉ことによって解放しようとしたのではないでしょうか?

 

 そして方は、息子を殺人容疑から遠ざけるために密室に隔離し、警察も救急車も呼ばず、ただ黙って死を待っていたのです。

 彼はあるいは満ち足りた気持ちだったかも知れません。彼が身を挺して守ったのは息子ではなく、30年前の彼自身だったのでしょうから。

 

……うーん、少々妄想が過ぎましたね。忘れて下さい。

あっ、最後に一つだけ。

「『許家育』って名前の太った人が『太っ許』って呼ばれるのは分かるけど、『方志宏』って名前の人が『健ちゃん』って呼ばれてるのはおかしくない?」

って言ってる無粋な人! ……はい、私もそう思いました。

このあたりに関しては、阿井幸作先生のブログに詳しいお話が載っています

 まぁ、私の高校時代の友人にも、「なんか身体が合金で出来てそう」というよく解らない偏見でジュラルミンってあだ名を付けられてた人とかいましたし。

 

 というわけで、『ぼくは漫画大王』をみんな読んでくれたら良いなぁというお話でした!再見!